ここは悲劇の舞台!?世界遺産ポートアーサーへのツアーに参加してみる!!
- on-foot
- 2016年7月15日
- 読了時間: 4分
こんにちは、ほびとです。
今日は世界遺産ポートアーサーへツアーで行ってきたので、その様子をお伝えしようと思います!!

まずはポートアーサーってどんなとこ?ってことで、バスガイドさんとパンフレットを抜粋しながら話をしていこうと思います!!
タスマニアに白人が入植し始めたのは1803年のこと、それと同時に白人と原住民アボリジナルとの戦いが始まりました。そして最終的にはポートアーサー周辺のタスマン半島にアボリジナルを追い込み捕獲していきました。アボリジナルは言語だけでも250を超えると言われ、700を超える部族がいたとされていますが、タスマニアの部族はこれにより滅びました。
そんなタスマン半島はその後、流刑地として利用されるようになっていき、1833年に建設が始まりました。半島ということもあり、イーグルホーク・ネックを経由する以外、陸路での脱出ができなかった為、脱出不可能な流刑地と言われています。
しかし1840年代半ばになると流刑処分を受ける囚人の数が減少、それに伴い1849年には少年院を1877年にはポートアーサーの囚人施設を廃止することになりました。
そこから観光地へと変貌していくんですが、1996年にある事件が起きます。人々はそれをそのままポートアーサー事件と呼んでいてこれには少なからず日本人も関係しているんです。どんな事件かと言いますと、ポートアーサー内にあったカフェで無差別にライフルを発砲、20人の死者と12人の重軽傷者を出します。その後、場所を駐車場に変え、観光バスの運転手や乗客を射殺、更に車で逃走し通行人を射殺、途中ガソリンスタンドで人質をこしらえコテージに立てこもります。事件の終焉は翌朝…コテージから出火それと同時に犯人マーティン・ブライアントが飛び出してきたところを取り押さえた訳なんですが、コテージの焼け跡から人質とコテージのオーナー夫婦の遺体が見つかり、延べ死者35人、負傷者15人を出す最悪の事件となってしまいました。動機は現在も分かっていませんが、犯行前にマーティン・ブライアントが「今日はニップ(日本人)が少ないな。」と呟いていたことから彼が狙っていたのは日本人とされています。

そんなポートアーサーへのツアーなんですが、まず向かうのがこちらのリッチモンド・ブリッジ!!

こちら1823年にできた石の橋でオーストラリアでは最古のものとなります。こういう橋、馬車が似合いそうですよね!!

そしてもう1つオーストラリア最古のものがこちらのカトリック教会!!1837年に建てられました。

橋と教会を一緒に撮影できるスポットがあり、ここからの眺めが好きでした。


続いて向かうのがポートアーサーラベンダーファーム!!こちら先日ご紹介したBridestowe Estate Lavender Farmブリッジスウ・ラベンダーファームよりも規模が小さく、時期が悪かったので満開とはいきませんでしたが、一応咲いてました^^

そしてここからいよいよポートアーサーへ…

ポートアーサーは流刑地なんですが、そこには軍人や自由移民もいたため、刑務所は病院以外にも教会や学校、郵便局に公園(庭園)などがあり、1つの町でした。

こちらが1番有名な刑務所…

実際外壁しか残っておらず、内部はこんな感じでした。建物の上層に行くほど刑が軽いらしく結構自由がきいたみたいです。


ただ、別の建物で当時の独房の様子を見ることができます。一畳半ぐらいのスペースですかね…

当時実際に使用されていた足枷なども見ることができます。

裁判所もありました。

ところ変わってこちらは軍人の居住区域…



中を覗いてみるとすごくきれいなんですよね!!


こちらは現在でも使用されているチャペル!!日曜日には礼拝に出ることもできます。


クルージングの時間になったので、チケットを持って乗り場へ…


このクルージングでは少年院があった島などを船の上から見ることができます!!
ポートアーサーはここまでですが、ツアーは続きます!!最後にタスマン・アーチとデビルズキッチンを見て終了!!




タスマン・アーチもデビルズキッチンも波によって崩された崖が今の形を作っています。これがなかなか圧巻でした^^
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