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ほびとの世界195ヶ国を目指して…

 

 

「地球の歩き方」の「旅いさら」という企画で

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ホバートから徒歩で行ける世界遺産、Cascades Female Factoryカスケーズ女性工場に行ってみた!!

  • 執筆者の写真: on-foot
    on-foot
  • 2016年7月14日
  • 読了時間: 3分

こんにちは、ほびとです。

えー、ホバートから徒歩で行けると言っていますが、街中から3kmぐらい離れているので歩くと45分~1時間ぐらいかかります。

以下、ウィキペディアが分かりやすく解説してくれてるので、引用しますと…

サウス・ホバートに女性刑務所兼工場が建設された目的は、女性囚人をホバートの悪い慣習から隔離することとまた、不道徳で腐敗しているように見えた女性囚人をホバート市内から隔離することで、社会秩序を維持することにあった。しかしながら、カスケーズ女子工場が設置された場所は水はけが悪く、また、囚人の数も収容能力を大幅に超えていたこと、衛生状態が悪かったこと、慢性的な食糧不足というさまざまな要因があいまって、死亡率が高かったとされる。

1827年、植民地政府による工場建設が決定された。翌年には、カスケーズ女子工場第1工場が完成した。さらに、1832年には2年前から建設工事が実施されていた第2工場が完成した。拡張工事は続き、1845年には第3工場、1850年には第4工場、1853年には第5工場が完成した。1856年、工場の役割を終え、工場の敷地は、女子刑務所となった。しかし、カスケーズ女子刑務所の供用は1877年に終了し、当時、刑務所内にいた女性囚人は、ホバートのキャンベル・ストリート刑務所に移されることとなった。カスケーズ女子刑務所が閉鎖された際には、女性囚人の家族も含めて、41人が刑務所にいたと記録されている。

その後も、カスケーズ女子工場の敷地は、少年院[2][4]や感染症の隔離病院[2]、さらには、1888年からは産婦人科病院の機能も追加され、使用されてきたが、カスケーズ女子工場の産婦人科病棟は1896年に閉鎖された。

少年院では少年たちの矯正教育と出所後のために、商業教育が施されると同時に、工場内では、農業、ガーデニング、大工作業が行われた。研究によると、少年院には、随時30人程度の少年がいたとされる。

女子工場から転用された後は、さまざまな用途に用いられてきたが、カスケーズ女子工場の敷地は、1904年に完全閉鎖となった。

このような背景があるんですが、このような施設でここまで形を残している建物は珍しいそうで、2010年にユネスコ世界遺産に登録されています。(ちなみに登録されているオーストラリア囚人遺跡群は11箇所、オーストラリア全土に広がっていてすべてを回るのはかなり大変です。)

とは言ってもこの荒れよう…

実際のところ外壁があるだけで、当時の様子を彷彿させることは難しい場所に感じました。

一応、作業をしていた場所をそれっぽくしてるんですけどね…。

場所はこちらです!!

【詳細】

Cascades Female Factoryカスケーズ女性工場

住所:16 Degraves St、South Hobart TAS 7004

営業時間:月-日: 09:30~16:00

TEL:+61 1800 139 478

URL:http://femalefactory.org.au/

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