バングラデッシュ・ダッカ、ダッカの観光名所を巡る
- on-foot
- 2016年11月28日
- 読了時間: 5分
※こちらの記事は2012年11月22日~2013年6月28日まで東南アジアを周遊した時の記録です。以前のブログを閉鎖し、当ブログと統合しました。情報が古い為、変更されている点が多いと思いますので、ご了承の上でご参考にして下さい。
ゲストハウス(ホテル)に着いて取りあえずシャワー…こういう時、本当はホットシャワーだと助かるのですが、もちろん水です。Wi-Fiもそうですが、そういう意味では東南アジアってスゴイですね。ろくに寝なかったのでその後、1時間ぐらい仮眠を取りました。そして11時過ぎに行動開始…

この時点でかなりやられていますが、それでもホテルに閉じこもっていても何も始まりません。昼食もありましたし、取りあえず町を散策してみる事にしました。まぁそしてド肝を抜かれる訳です…「何なんだ、この国は…。」という感じです。この旅の最初、ベトナムのハノイでカブの多さに驚いたりもしましたが、それは比じゃないですね。砂埃がすごく、リキシャや馬車(この馬車はミャンマーの馬車とは異なり、何ともヨーロッパチック…。)、その他もろもろで道は埋め尽くされ、歩くスペースはほとんどありません。「一体いつの時代にタイムスリップしてきたんだ…。」そんな風にも思いました。さらに首都であるのに観光客の姿は全くと言っていいほどありません。行きの飛行機でも観光客らしきは人は白人の老人と娘さんかお孫さんと思われるペア、同じ白人の男2人組のみでした。このインド人顔しかいない街の雰囲気ほびとを一層不安にさせるのでした。



これもまた面白い点で、バングラデッシュ人はよく「俺を撮ってくれ!!」と言ってきます。昨日だけでも20人以上撮影しました。この辺はとても好感を持てる部分もあります。

取りあえず川へ行ってみよう…川の近くまでたどり着いた時に「川を撮るならこっちだ!!」と声をかけてくれたのはジェリーさん…4タカを払いジョドルガットという場所へ行きました。ここはフェリーが発着する桟橋で、確かに見晴らしのいいところでした。

自分で歩こうと思っていたのですが、ここから「対岸に行くか!?」など言われ結局、便乗してしまいました…。

対岸はサウスダッカと呼ばれる場所で、ダッカは渡った川をはさんでオールドダッカ(ノースダッカ)とサウスダッカに分かれているそうです。

この周辺は主に造船に関わる仕事をする場所らしく…

塗装をする人や…

プロペラ部分を造る人…

できたプロペラを研磨する人…

船の塗装を剥がす人など、色々なパートに分かれています。

ほびとも塗装を剥がさせてもらいました。

これは船のどの部分でしょう!?…ここにも日本製が使われていました。

最後に操縦室まで登らせてもらい、記念撮影…結構楽しんでます^^

この後、船で再びオールドダッカに戻り、ピンクパレスという場所へ…ここは言わば王宮博物館のような場所で中は撮影禁止でしたが、40人がけの長テーブルや百数十年前のティーセットなどを見ることができます。料金はバングラデッシュ人5タカ(約5円)に対し、外国人75タカ(約75円)…ここにもありました外国人価格、値段はそこまで高くないもののその差15倍はなかなか激しいですね…。

続いてヒンドゥーストリート…インドからバングラデッシュに来ると特に目新しいものではないようですが、インド圏初のほびとには新鮮に思えました。

ヒンドゥー教の神の像、まずは形を作りペイントをして完成します。(当たり前と言えば当たり前ですが、そう話していたので…。)

こちらはアルメニア教会…周りがあまりに騒がしいだけに、すごく静かに感じます。この日は16時から開くという話でしたが、管理人さんが鍵を持っていて現地の人がお願いすれば開けてくれるみたいです。

こちらはスターモスク…名前の通りモスクには星がペイントされています。

そしてこちらの面白いのが、中のタイル…なぜか富士山のデザインなのですが、理由は分かりませんでした。

最後にジョドルガットへ戻って終了…とここまではよかったのですが、請求してきた金額がなんと40ドル(約3200円)…騙されたと思いましたよ…途中、「ガイドには3000~4000タカ(約3000~4000円)ぐらいお金を請求してくる奴もいるから気をつけて!!」、「俺は安く案内するんだ!!」とか散々色々な事を言って置きながら「全く他のヤツと変わんねーじゃん!!」と思いましたよ…。でもここは船の先端部分…逃げ場もありません。ミャンマーに行った後だったのでドルもそんなに余ってない…取りあえず20ドル札を隠しながら余りのドル札を出すと20ドル(約1600円)ありました。それを渡して、「これ以上はない、もしあれだったら一緒に警察に来てくれ。」と言うと相手も渋々了承…事無きをえましたがそれでも細かいドル紙幣が消えたのは痛いし、20ドルは高い…でも少しづつバングラデッシュ人ってのが分かってきました。その意味ではこれもネタ&勉強代かなと思います。(バングラデッシュ人はいい人ですが、なかなか上手く商売をしてきます。)

この後、更に街をふらふらして駅の方まで行ってみました。そして戻る頃にはダッカの街に太陽が落ちていきます…本当に長い1日でした。
最後に実は今日は2012年3月11日です。あの東日本大震災から今日で1年、本当に長かった1年でしたが最後の最後にそんなことも考えられないぐらい余裕のない状況となってしまいました。それでも幸いな事に今のゲストハウス(ホテル)にはTVがあり、衛星放送が入ります。英語ではありますが、NHK WORLDが入り黙祷の映像を見ることができました。改めて亡くなった方のご冥福を祈りつつ、この記事を締めくくろうと思います。
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