バングラデッシュ・ダッカ、ダッカでまさかの出禁!?と救世主登場!!
- on-foot
- 2016年11月28日
- 読了時間: 4分
※こちらの記事は2012年11月22日~2013年6月28日まで東南アジアを周遊した時の記録です。以前のブログを閉鎖し、当ブログと統合しました。情報が古い為、変更されている点が多いと思いますので、ご了承の上でご参考にして下さい。
はい、という事で今日は一瞬を除いてホテルの部屋にこもっています。どういうことか…ほびとも詳しいことは分からないのですが、バングラデッシュ人が口を揃えて言うのは「今日は危険だから外に出ない方がいい。」それだけです。

もちろん基本的にはそうしてましたよ…さすがにそこまで言われると怖いですし…昨日は疲れきっていたせいか、はたまた不安すぎたからでしょうか、とにかく夜の8時ぐらいには寝てしまい、それでも目が覚めたのは朝の9時…昨日の段階で「明日はほとんどお店もやっていないから、水も食料も今日のうちに買っとけ!!」そう言われていたので軽くご飯はあるもののいかんせんミャンマーからの流れ、更にはバングラデッシュも食べ物は基本的に油っぽく、胃がやられていてあまり食べる気になりません。
取りあえずぼけーっとテレビを眺めながら気がつくと2度寝…目覚めた時には11時になっていました。ここから資料整理と記事作成…あまり気も進まない、それでも特にやることがない…スピードは遅いながらも少しずつ終わらしていきます。
お昼になって、買っていたパウンドケーキ1切と持っていたサプリメントを口に入れ、再び作業…数日前までバングラデッシュにいた友人が、英語の勉強と言って映画のDVDを大量購入してましたが、理由が分かるような気がしましいた。
やることもなく、話す人もいない…「あぁ、旅ってやっぱり話す人がいて、共有するから楽しいんだな。」そんな風に思いました。また最近、自分が旅をする意味やこの旅の後、自分の心の中心にあるものって何だろう?そんなことを考えていましたが、このインド圏に入って、そんな余裕はなく、こんな状況が続くならすぐにでも日本に帰りたい。こんな始末です。でもその一方でそう思えるのも海外にいるからであり、東南アジアのままではそうならず、結局次の1歩を踏み出す事でこうなったのだから成長しているとも言えます。

こんな事をあーだこーだと考えながら作業をし、時間は15時…危険とは言ってもピストルの音が聞こえるわけでもないので、試しに外に出てみよう、そう思って部屋のドアを開けました。外に出てみると、確かに昨日では考えられないぐらい人はおらず、リキシャですらまばらです。ただ逆に言えば思ったよりも人はいて、本当に何が起こっているのかという感じでした。

それでもやっぱり店はやっていない…取りあえず5分ぐらい歩いてみて話を聞くことに…しばらく歩くと英語が話せるおっちゃんがいて、第一声は「こんなところで何をしてる、ホテルに戻って部屋にいた方が無難だ。」でした。今日は何が起こっているのか聞いてみると、今日は公の休日だということは分かりました。それでも何で…デモなのか宗教なのか、NHK WORLDは日本の震災から1年が経ったことばかりでその辺は伝えてはくれません。バングラデッシュのチャンネルにすると人々が集まっている様子は分かれど、言ってることは全く分からず…。
こんな調子で夕方を迎え、更には夜になりました。夕食とネットをするために再度外出…夜になると多少人も増えてきたように感じましたが、ゲストハウス前の道を北へ500mぐらい行くと銃を持った警察がたくさん…さすがに怖かったですね。それでもネットが使えるところはその手前にあり、そこは普通に開いていました。昨日、今日とこのネットカフェでADSL回線を拝借して自分のパソコンを使っている状況なんですが、その店のインド人親子はほびとに興味津々らしく、質問の嵐…まるで作業のなりません…。(それでも本当にいい人達なんであまり悪いことは言えないんですけどね…。)
1時間ぐらいしてゲストハウスへ…ネット情報でアルラザック(今滞在しているゲストハウス)の情報ノートがいいらしいのでレセプションで借りようとしたら…そのノートを見ている人がいる…日本語のノートを…「日本人ですか??」…「日本人です!!」…まさかバングラデッシュで日本人に会えるとは…この時の喜びというか安堵というか、このうえなかったですね。しかも5分後…更に2人の日本人に会いまして、エントランスは情報交換…まだまだバングラデッシュの情報は少ないんですが、それでも日本語が話せるって素敵ですね。
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